マイマイ新子の〜 岸津神社
佐波神社のことを書こうと思っていましたが 岸津神社に行ってみたら思いの外映画に出てきた場所のような気がしたので、、
新子ときーこがふたりで座っていた鳥居がここのような気がするのです。
防府市は、北に山 南に瀬戸内海があって、北から南にかけて1級河川の佐波川が流れています。 その間に開けているのが防府平野で、平安時代、清少納言の頃は、今の山陽本線の少し南までしか平野はなかったようです。 その後の度重なる干拓、特に江戸時代の埋め立てによって広く沖の方まで平野が広がったっとーーー小学校で、松崎小学校で教わりました。
映画ではこの岸津神社の裏の鳥居(上の写真)によく似た場所に清少納言が立ってすぐ足元に波が寄せていました。神社は表の鳥居は東に面していて、裏は南を向いてたっています。 母の話によると、この岸津神社の前(下の写真)を旧山陽道が南北に通ってここで東に曲がって富海の方までぬけていたそうです。
周防国衙趾 多々良山
マイマイ新子で何度か背景になった周防国衙趾です。 今も昔も変わらない。
この石碑は1860年、安永7年にかつて繁栄した国府の変わりようを寂しく思って建てられたそうです。幕末期ですか?
映画にもありましたが 私が子供の頃も史跡保存ための立ち退きやら、発掘やらあって、いろいろと見聞きしていて、奈良、平安時代の御殿やお宝が現れるのかと、期待していましたが、素人にもわかるような事ではないみたいです。
それより映画では多々良山がとても丁寧に描かれていて嬉しくなりました。
上の写真の石亀さんの後ろ、北に広がっているのが多々良山です。そして、山の中腹の木の生えていない黄緑色の所がゴルフ場です。ゴルフ場は山のふもとまで続いていて、映画で迷子になった新子の妹がゴルフボールを拾っていましたね!
ここから東に少し東になるのが下の写真です。この国衙からのまっすぐな道が平安時代の大通りだったのでしょうね。 この道を多々良山に向かって北に突きあたった所に放水口があって その上に毛利邸の堀のような長い堤があります。 田畑に流す水をここで調節しています。
防府では毛利邸は有名な観光スポットなのですが、映画では出てきていないので、後で、、にしますね〜
下の 写真に見えている左はしのゴルフ場の山のふもとにさば神社があって、そこを少し下った辺りが新子達がダムを作った場所になります。